全日本女子バレーファンがVリーグを見始めた。

全日本女子バレーはずっと好きで、小学校の頃から家族で見ていたんだけど、Vリーグを見る機会がなかなかなく、そのあたりの知識はほぼなかった。
そんな中、今年の初めくらいにDAZNの広告で「Vリーグが見れる」というのを目にして早速契約するもシーズン終わったばかりで去年の授賞式の様子を見るところから始まり、今年の世界バレーを横浜に見に行き、今月よりやっと念願のVリーグ視聴。

そんな「Vリーグ初心者」の私がVリーグをDAZNで見始めた感想を書いて行きます。

今回はチームと主要メンバー。
全日本しか見てない&ざっと2週間見た感想です。

(試合は基本土日にまとめて開催)

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正義の批判

主にTwitterで、「批判」というものがもやもやすることが多く、その理由を考えてみた。

最近気づいた他人との違いは、
私は、「暴言を吐かれたら暴言を吐き返す」という気持ちがわからない。だから、「暴言を吐くべきではない」という人が、「暴言を吐いている人」に向かって「暴言を吐くこと」も、「矛盾だ」と感じてしまう。

だけど、上記のことを「矛盾ではない」と思う人が多いのだろう。「マウンティングするな」「他人をけなして自分を上げるな」と言ってる人たちが「それをしてる人」に対しては大いにやり返してるのが目に付く。叩けるところがあるとそれをネタにマウンティングしてるところをたくさん見てきた。そして彼らは言う。「マウンティングするな」と。

これって「いじめられた人間がいじめ返す事を正しいとするか否か」という問題なのだと思う。「正しい」とする人が多いのだろうと想像してる。

私は「バカ」といわれても「バカ」とは絶対に言い返せないし、「死ね」といわれても「お前が死ね」とはいえない。
たぶんそれを言ってしまったら、自分が言った言葉に後々自分が苦しむことになるのが目に見えてるから。

実際にTwitter上で言われたのは「情弱」と「人類の嫌なところを集めた新人類(多分ちょっと違うが記憶が曖昧)」。

言い返そうとは思えなかった。
ただ、「なぜ私にそういう感情を持ったのだろう?」とか
「なぜあなたにそんなことを言われなければならないのだろう?」ということは考えた(答えは「私のことを嫌いなんだろうな」だったけれど)。

私には、徹底的に「加害者にならないように生きる」ということが染み付いてるのかもしれない。少なくとも、ある一定のところまでは。

最近目に付くのはさらにもう一歩進んで「誰も被害者はいないけど許せない」論。「やられたからやり返す」ではなく「許せないから叩く」も正当化されつつある。
「この人はこういう人だからしょうがないよね」という理由で。

私は批判について、「感想としてなら自由、そうじゃないなら慎重であるべき」という考えを持ってる。
「私はこれをこう思う」は、感想。
その人個人だけではなく、主語を大きくしての「であるべき」論は批判。と思っている。

感想は感情論でもなんでもいいけれど、どちらにしろ他人を思いやる気持ちは大切なんだろうと思う。(別の話になるので掘り下げませんが、これについては「この人嫌い!」と発信することの是非になると思う)

批判は感情論を控える。なぜなら感情を入れたら感想になるし、個人の感想であれば「そうなんですね」で終わってしまうから。

よくあるのは、
「自分は関わりたいと思わない」みたいな感情論。
それに対しては正直、「そうですか、では関わらなければ良いのでは」としか返しようがない。

これで勘違いされたくないのは、私は「大いに関わりたい!」と思ってるわけではない。でも、前者の言葉をよく頂くので、「私が大いに関わりたい!」と思われてるのかもしれない。(なぜだろう)

そもそも「私がその人をどう思っているか」は関係ない。好きだろうと嫌いだろうと期待してようと憎んでいようと「批判や議論」には一切関係ない。

もっといえば

「関わりたくないと思うのは自由だけど、関わりたいと思う人もいるのだからそれぞれ自由にしたら良いのでは」です。

感情論を批判的に使うことが怖いと思うのは、「嫌いだから叩く」が正統化されてしまうから。
あろうことかそれを「正義」としてしまう人たちが一番怖い。

「正義」は立場によって180度も変わってしまうもの。戦争の歴史を見ればそれは一目瞭然だろう。自分の立場だけに立って「正義」を振りかざすことこそ怖いことは無い、けれど今SNSではそれがまかり通ってしまっている。

「正義」とはなんだろう。「許せないこと」ってなんだろう。
自分が被害にあうこと、誰かが被害に合うことでなければ、「存在や行動を好きでなくとも認めるべき」というのが私の意見です。

「嫌い」と「すべきではない論」は分けて考えないとおかしなことになるし、実際Twitterはそうなってる。
自分と意見が違うものを「間違いである」「絶対に認めない」「叩かれて当然だ」という考えが、私は怖い。

ちなみに、犯罪だと思うものは通報するなり被害者に伝えるなりしたらいい。素人かつ第三者が「犯罪だ!」と判断するのは寧ろ危険な行為だと思っている。

感情的になったら立場を変えてみる。自分や友人や家族だったら。職業が違ったら。こういう立場だったら。
「その人、そもそも本当にそこまで悪いことしてるのか?」と冷静に考えられるのでお勧めです。

最近の批判や叩き、炎上を見ると、やっぱり「自分が苦労してきた事を、他人が楽してしまうこと」が許せない人が多いのかなーと思う。
上の世代に多いといわれがちだけど、割とどの年齢にもいるのではないか。
これについては、多分今までも同世代でもたっくさんいたはずなのに、ただ「目に付いてなかった」だけなんだよね。もしくは「目に付く数が少ないから特別だと思っていた」か。それがネットやSNSで目に付くようになって、その人が「特別ではない」とわかるとそう思ってしまうのかな?という推理。

なんにせよ、人は人、自分は自分。
自分の信じる方法で進むしかないよね。

「大人のモラルのなさ」Twitterを始めてからの感想。

私はネット暦に対してTwitter暦はかなり浅い。
なので、Twitterをやっていて驚くことが結構多かった。

「プロブロガー」というものを知ったのも、
それに対して批判的な人たちがすごく多いのもTwitterで知ったこと。
インフルエンサーはWEB系のマーケティングでよく出てくるので知っていたけれど、有名な方々を知ったのはTwitterを始めてからだ。

私も色々情報を見ながら、自分の中で賛否が変わることがよくあった。
ただ、最近思うことは、叩きがあまりにも酷いな、ということ。

叩きに関しては、13歳くらいからネットをはじめて、当時から2ちゃんねるとかを見てきたし、そこで理不尽な叩きや誹謗中傷が日々行われていることは知っていた。
これがいいことだという意味ではないけれど、なくならないものなんだろうとも思っていて、ある種諦めがある。
ただ、Twitterの叩きはまたちょっと違うような気がしている。

2ちゃんねるは完全匿名だ。(「特定できない」という意味ではない)
対してTwitterは固定のアカウントを持ち、実名、顔出しの人もいる、リアルで会った人同士で繋がってる場合も多い。
ただし「捨てアカ」でリアルとは全く切り離して罵詈雑言を発するためだけのアカウントもある。あれはすごく2ちゃん的だなあと思う。

で、私の中では後者の「捨てアカ」で叩きや誹謗中傷を繰り返す人がいるのは、ある意味想定内だった。
どのSNSでも、2ちゃんねる的に使う人は必ずいると思うから。mixiにもいた。

驚いたのが「実名」「顔出し」また、実名顔出しではなくても、ちゃんとコミュニケーションのツールとして使っている人、リアルな人と繋がっている人が、
プロブロガーやインフルエンサーに対して「叩く行為」を繰り返していること。

批判の定義になるけれど、正当な意見として、「批判」「違う意見」をリプ、引用RT、エアリプでツイートするのはいい。普通の行為だと思う。発信する以上、そういう意見があって当然だし、会話から生まれる価値観の違いを認識したり、認め合う行為はとても有意義だと思う。

なにが引っかかるかと言うと、

「完全に自分のことを棚にあげた上から目線・理不尽な要求」
「外見の悪口・嘲笑」
「根拠のないものを決め付けて叩く・嘲笑する」

また、こういうものなのかなあと思ったのが

「プロブロガー・インフルエンサーなんだから優秀で当たり前」という前提の下に、それを上回らないと批判する、という行為。

これは多分、芸能人との境目がなくなってきてるんだろうなあ、とも思う。
芸能人だから言っていいわけではないけれど、テレビ見ながら「この芸人つまんないなあ」って独り言を言ってる感覚なんだろうなと。

よく言われているのが「インフルエンサー(フォロワー数が多い・ツイートに対しての反応が大きい人)なんだから、影響力を考えて発言しろ」というもの。

これ、一見正義やモラルからくる発言に見える。

「若い人たちが変な影響を受けて、学校を辞めたり会社を辞めたりしたらどうするんだ」というもの。

確かに、イラッとさせるいわゆる「煽り」をする人たちもいる。
よく言われるのが「会社員はオワコン」的なもの。

それに対して日々真面目に会社で働いてる人たちが「イラだつ」のは理解できる。その感情を突いてきてるんだから、ある意味正常な感情だと思う。
私も正直苦手。
だからそれに対して反発する意見が出るのは理解できる。

でも、だからと言って身体的な悪口で嘲笑したり、
なぜかわからないけど無能レッテルを貼ったり、
フリーランスは会社から逃げただけ、と決め付けたり、
なぜそういう理論になるのがよくわからない。

上記の発言が「インフルエンサーだから悪影響だ、やめろ」というのなら、それに対する言葉たちは誰にも悪影響がないというのか。

自分の子どもだったり今小学生、中学生の子達が、
「大人」が他人の「悪口」「嘲笑」をTwitterで流すことを目にすることの「悪影響」はないのか。
それとも、その行為自体がすべてモラル的で正義だと言えるのか。
そしてその行為は、学校や会社内でいっつも人の悪口いってる人、と同じに映ってる。
リアルではその場で言って消えていく言葉が「ネットを通して全世界に発信している」という自覚があるのか。

Twitterをやっていて一番驚いたのが、「大人のモラルのなさ」だ。

私の世代は「ネットのモラルについて」を学校で学んでいない。
少なくとも私の学校ではやっていない。

私はネットを始めた当時、個人サイトばかりだったけど管理人はじめそれぞれがネットマナーを注意しあっていた記憶がある。私もそれで基本的なマナーを覚えた。

ただその頃はネットをやってる人は趣味の人がほとんどで、
「ネットが当たり前」になったときにSNSに入ってきた人とは、同じ年代であっても認識に差があるのかもしれない。

ただ、基本は
「画面を通した先には自分と同じ人間がいる」ということ。
「分かり合えない人、価値観が存在する事を認めること」
たったそれだけでモラルは変わる、と思う。

今小学生や中学生でネットを始める人たちには、学校が教えてるのだろうか。

もっともっとネットの便利さと怖さ、マナーやリテラシーを学んで、
下の世代のほうが上の世代に対して、「マナーのなっていない世代」と呼ぶ日が来るのではないか、と思ってる。

今私たちが上の世代に感じる、「客として横暴な振る舞い」や「飲み会は当たり前」という古い常識と戦う今の私たちと、同じ感覚になってくるのかもしれない。

WEB制作を独学で勉強した話

私が始めてHTMLを触ったのは中学生、13才くらいのとき。そこから個人サイト作りにはまって、高校くらいまではHTMLやCSS、JSを「メモ帳」にコピペしながらサイトを作っていた。

そこからグラフィックデザインの専門学校を出て、デジタルコンテンツのデザインする仕事をして、そのときに「もう一回WEBサイト制作の勉強がしたい、仕事にしたい」と思って20歳くらいのときにサイト制作を独学で「仕事をするために」学び始めた。

私なりの方法ですがなんとなく参考になれば。
私がやったのは、

・プロが使う道具を購入
・本を1冊買って一通りやって覚える
・安価で仕事して依頼を受けてたくさんつくる
・企業のWEB担当として働く

です。

中学時代のベースがあるので、とりあえず「HTML、CSS、JavaScript、php」とはなんなのか、くらいは感覚で分かっていた。(実際どういう動きをするかはよくわかってなかったけど)

まず、メモ帳で全部打ってた私は、「プロはなに使うんだろう」とソフトを調べて、DreamWeaverとFLASHを購入。(現在どちらも使わない…笑)

同時に使い方の本を買って、特にDWの本を読んでその通りに作るということを一通りやった。これでDWの基本的な機能とCSSレイアウトを覚えた。

そのあとどうしたらいいかな?自分の趣味サイトでも作るしかないかな?と考えていたとき、mixiでWEB制作されてる方にアドバイスを貰った。

「とりあえず作れ、なんでもいいから作れ。制作物がないと話にならない。できれば安価でいいからお金はもらったほうがいい。500円でもいい、それで仕事としての責任が生まれる」

当時私はバンドが好きでライブに通っていた。丁度その大好きだったバンドが解散したときだった。メンバーの一人が新しいバンドやるんだけど、スタジオに見に来ない?と声をかけてくれて、そこで「WEB制作の仕事するために勉強している」ことを伝えた。

そこから「バンドマンはお金ないけどホームページほしい人多いよ」ということで、まずはその新バンド、そこからイベンターさんを紹介してもらって、そこで知り合ったバンドのWEBサイトやCDジャケットやチラシ、物販用のポストカードのデザインなんかをさせてもらった。

お金には全然ならなかったけど、すごくいい経験になった。
今ならクラウドソーシングや各種SNSがあるからもっと手軽に募集できるし、「経験のための」と割り切れば、仕事はたくさんあると思う。実際当時みんなやってたmixiからも何個か制作させてもらう機会があった。

会社を辞めて、転職しようかと考えていた頃、この「ひたすらたくさんサイトを作ること」に違和感を感じ始めていた。「作って終わり」が寂しい。もっと一つのサイトを育ててみたい。

WEB制作会社に入るか、サービスをやってるようなところに入って運営を学ぶか迷い、結果友人に声をかけてもらって、企業のWEB担当として6年勤めた。

そもそも「WEB担当」がいなかった会社。まずは制作会社が作ったものの更新、運営、コンテンツ企画、それからリニューアルの際にはから全部作るようになって、ここで時代の流れとともに必要なスキル、Wordpressやレスポンシブ、HTML5・CSS3も覚えた。(独学だけど…)

副業は禁止だったけど、「WEB制作・運用・簡単な印刷物の依頼」はずっと受けていた。新しいタグを覚え、流行を知って会社でも副業でも活きていた。

制作会社とどっちが良かったか?結果論になるからなんともいえないけど、WEB担当としてアクセス解析しながらコンテンツを作って反応を見る、新しい特設サイトを作ってみる、会員サイトを作る。
あとは撮影もしたのでカメラも覚えた。動画も編集したし、プロの撮影・編集・ナレーション収録にも立ち会ったし、スタジオ撮影もスタジオ探しから全部関わった。そういう「WEB制作会社じゃ出来ない経験」が、「フリーランスのWEB制作の仕事」に生きている。

WEB制作の相手は一般の会社が多い。だから「会社での運用のしやすさ」を考えて提案することも大事で、それがイメージしやすいのはそういう経験からなのかな、と思う。

やりたい自分をイメージして選択する、も大事だしそうあるべきだけど、すでに終わった経験は悔いても無駄だから今後どう生かすか、そっちじゃなかったからこそ得られた経験はなんだろうって考えるのもありなんじゃないかんと思う。

そんな感じで、なんやかんやでフリーランスのWEBデザイン・制作で生きていけてます(今のところ)

過去を振り返って、今の自分を考えてもっと成長するためにどう動こう?新しいことをするためになにをしよう?常に考えていきたい。

会社を辞めて気づいたこと。仕事を「しやすい環境」ではなく「成長できる環境」を。

夜中にはじめてnoteを書いてみます。

私は今フリーランスでWEB制作の仕事をしている。2年前、6年勤めた会社を辞めた。それからありがたいことに、コンスタントに仕事ができ、とりあえず生活には困っていない状況。

ただ、ここ数ヶ月、何か物足りない、もうちょっとなにかしないと、と焦る気持ちを自覚していた。

そんな中で、先日1冊の本を購入し、読んだ。

「ニューエリート グーグル流・新しい価値を生み出し世界を変える人たち」という、今まさに色んなところで言われている「新しい働き方」の本だ。

この手の本は今までも何冊か読んだし、ネットでも好んで読む。なので、はじめて知るような事実はなかったのだけど、ネット上に溢れる「変わらなきゃ取り残されるぞ」という曖昧でかつ恐怖を煽るような言葉が、より具体的な行動の仕方に落とし込んだ例がたくさんあった。
具体的な「成功者とは」という定義もされており、「今後なぜこうあるべきか」をわかりやすく、またイメージしやすく書かれていた。

これを読んで、ああ、私も早く行動しなきゃ、と思ったのだけど、その前に、「会社にいたときのこと」をたくさん思い出したので書いてみる。

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「奇跡の人」原田マハ 著 日本版ヘレンケラーの物語。(ネタバレあり)

久々に小説を読みました。
「奇跡の人 The Miracle Worker」原田マハさん作。

あらすじ:
明治時代。
盲目で、耳が聞こえず、口も利けない少女が名家の蔵に閉じ込められ、けものの子と呼ばれている。ただ「生きているだけ」の状態の少女「介良れん」。
弱視でありながらそれを隠しアメリカに渡り、「自由と女性の権利」を胸に彼女の教育係を受ける去場安。
れんの才能を信じ、れんの家族と戦いながらも才能を開花させるために奮闘する「日本版へレンケラー」の物語。

「ヘレン・ケラー」の物語は、多分児童書あたりでちょっと読んだくらい。
同じく盲目で耳が聞こえない女の子が、手文字で物事を理解し、喋るまでになった、「WATER」を理解した、というストーリーくらいしか知らない。
映画版の「奇跡の人」も見たことがない。だから新鮮に読むことができたけれど、どこまでが原作に忠実で、どこが創作かわからなかった。

ただ、場所が明治の津軽。間違いなく原作にはない、「三味線」や「ボサマ」、「イタコ」が物語に絡み合ってくるのがとても印象的。

原田マハさんらしい綺麗な文章、美しい情景描写や丁寧な心理描写や安の凛とした女性のえがかれ方はいつもどおり読みやすく、優しい気持ちになった。

※以下ネタバレあります。

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「イラストのオーダー制作と著作権」の話。

私はイラストレーターではないし対個人相手の仕事はほとんどしていません(依頼があればしますが)
なので、この意見はそういう方々の代弁ではなく、1クリエイターが傍から見ていて感じたこと、です。
(基本法人での仕事をしています)

制作側はどこまで伝えればいい?それは義務なのか?という話

二次創作でのトラブルがあった、という記事を読んで、
ああ、これは確かにわからないかもしれないな、と思った。
と、同時に、「すべての説明が製作者の責任ではないだろう」とも。

そのブログに書かれている作者さんは色んな声を反映して「わかりやすいサービス」を心がけていらっしゃるようですし、
ここで指摘された方は謝罪をされていますし、
上記のブログの方々に対してはなにも感じませんでした。上手く収束したんだろうな、と。

ただ、それに対してTwitterで様々な意見があって、それを見てるうちに
「怖いな」と思ったことを数点。

「素人だからわからない」は免罪符にならない。

一番感じたことがこれです。

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モラルを守れと叩くことについて

Twitterをやっていてどうしても理解ができないのがこのことだった。
批判がよくないとは一切言ってないんですが、論理もなく感情をぶつけるだけ、自分の正義をぶつけているだけのものはそもそも「批判」にすらなっていないない、と私は思っている。

「批判がよくないという人は」という文言よく見るけれど、「批判とは何か」という定義がなければ議論にならないと思ってるので、
私の中では「(論理のある)批判がよくない」とは思わないけれど、「(一方的に主張をぶつけるだけの)誹謗中傷や叩きは良くない」とは思う。

で、「モラルなんてないよ、ネット(Twitter)なんてそんなもんだろう」と開き直る人に対しては意外となんとも思っていない。
おそらく「良くないこと」だとわかった上でやっているのを感じるから。
そこには正義もモラルもない。

私が引っかかるのはただ、
「モラルを守れ、という人が自分を振り返らず、正義感をたてに他人を叩くこと」に尽きる。

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ペットを飼う、ということは人間のエゴである、という大前提。

はあちゅうさんのツイートで炎上してますが、それを見て色々考えてしまったのでブログにまとめてみました。
はあちゅうさんのツイートはあくまでキッカケで、それに対しての意見ではありません。
ただ、表面的に叩いたり同意するのではなくて、できるだけ深く考えたいなと。

賛否両論の意見が溢れる中、「そもそもペットを飼うこと自体エゴなのでは?」と言う意見を見て衝撃を受けました。

これ、私小学生のときに考えたこと。(一笑されたけど)
なんかもやもやっとした言い分しかかけないなあって思ってたけど、私の考えの根底にはこの気持ちがあって、
だけどそれを言うことは怖かった。
私自身にも降りかかってくるし、ペットを飼ってる人たちに刺さる言葉だと思ったから。

でも、根本的にこのことは忘れちゃいけないことだと思う。

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他人を思いやる、ということ。

私は過去、「仲のいい人にほど甘えていて制御が利かなくなっていた」ことがあります。
完全に精神的にやばかった時代。思いっきり黒歴史です。

本音をぶつけることが「誠意」だと思ってました。
だから思ったことを素直に、仲の良い人にほどストレートに伝えていたのだけど、今考えると「そんなのただの甘えに過ぎない」んです。
本当にあの頃たくさんの人に迷惑かけたな、と思ってます。

仲が良いから許してね、っていうのを、本当に無意識に悪意なくぶつけていた。
本当に最低でした。
仲がいい証拠、位に思っていた。
今の夫との最初の出会いもそう。完全に依存状態で、相手に「求める」ばかりでした。
それで1度別れてます。

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