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「気づける人になるために」気をつけている、気づけない私の注意点。

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社会に出ると特に、「周りに気を配れる人」「言われずとも気づくことが出来る人」が求められることが多くなってくる。
私は典型的な「気づけない人間」だ。
それに対して強いコンプレックスも持っている。
「飲み会が苦手」というのもここから来てる。
下に人間はとにかく気を配れ。気が付くことが大事。

気がつけない

とは言っても、「気づけないことを気づけといわれても困る」と思う。
自然に気を配れる人って一体なんなんだろう。
どれほど怒られても、呆れられても「気づくことができない」ことを一体どうすればいいのか。
その上この「気づけない」ことに対する評価は相当大きいと感じる。

特に新人の頃は、仕事ができなくても良いから気づける人間になることが求められるように思う。
他人に気を配れる、誰より先に気づいて動ける人間は、多少本業の仕事ができなくても許されてるように思う。

でも私にはそれができないし、できないことをコンプレックスに思えば思うほど、すごく緊張し全てのことに疲れるようになってしまった。
この「気づける」という力はどうやって身につけられるのか考えた。

「気づける人」になるのではなくて、指摘されたことは今後絶対に気にする

結論として、「気づける人」にはなれなかった。
その代わり他の人が「こうあるべきだ」と言ったことは絶対に間違えない、ということを心がけた。
私は最初の会社の上司が割りとやんわり言ってくれる人で、
例えば会社の上の人がごみを片付けてたら「ああいうの、率先してやったほうがいいよ」とか
インターフォンが鳴ったら「最初に出たほうがいいよ」とか。
とっても恥ずかしい話なのだけど、それすら最初はできなかった。
その代わり、それを言われた以上「全てのゴミは私が片付けた」し、「インターフォンが鳴ったときに他の人には絶対に出させない」というのを徹底した。

でもこれでは言われたことはできるけど、「言われたことしかできない人間」だなあと思ってやっぱりコンプレックスはなくならなかった。
で、ネットでもリアルでもこの「言われたことしかできない人間」=「仕事ができない人間」というイメージが強い。
それを変えるにはどうしたらいいかな?と考えた。

他人を見る、また他人に対する指摘を自分ごととして聞く。

当時一緒に暮らしていた姉が「気づける人」の典型で、とにかくその場を回すのが巧いし、他人への気配りが巧い。
だから私は、とにかく姉の視線を観察した。姉が率先して動いたときに、何をしたか見る。
そして今度は私がやる。そういうことを繰り返した。

会社でもそう、気配りが巧い人がやってることを見て、先回りでやるようにする。
「指摘されたこと」「他人が気づいたこと」を積み重ねることで、「人に言われる前に動けること」が増えていく。

そして一番大きかったなと思うことが、「他人に対しての悪口」を聞くこと。
悪口と言うと言葉は悪いんだけど、例えば「○○さんは新人なのに、あれをやってくれない」とか「あの部署、部長が○○をやってるよ、他の人なにやってんだろう」とか。
そういう「自分に対して言われたことじゃないこと」を「自分ごととして受け止める」そして一番最初にした「指摘されたらそれ以降徹底して自分でやる」を実践すると
「言われてないのに動く人」になれる、ということをやっていた。

そうすると、いつの間にか「細やかに気がつける人」という、(お世辞だと思うけれど)そういう言葉をもらえるようになった。

「気づける人」じゃなくていい

そんなわけで、本当に意味で「気づける人」じゃなくても、他人への気配りや自ら動くことはできるようになる。
そしてこういうことは上限が無いので、ずっと考えてどんどん増やしていく。
そういうことで「出来る人」って思われるようになることは可能だなあと、最近改めて思う。

もし「言われたことしかできない」と自分自身で思ってコンプレックスに思ってる人はやってみてください!

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