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他人を思いやる、ということ。

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私は過去、「仲のいい人にほど甘えていて制御が利かなくなっていた」ことがあります。
完全に精神的にやばかった時代。思いっきり黒歴史です。

本音をぶつけることが「誠意」だと思ってました。
だから思ったことを素直に、仲の良い人にほどストレートに伝えていたのだけど、今考えると「そんなのただの甘えに過ぎない」んです。
本当にあの頃たくさんの人に迷惑かけたな、と思ってます。

仲が良いから許してね、っていうのを、本当に無意識に悪意なくぶつけていた。
本当に最低でした。
仲がいい証拠、位に思っていた。
今の夫との最初の出会いもそう。完全に依存状態で、相手に「求める」ばかりでした。
それで1度別れてます。

仲が良い人ほど、誠意を持って、大切に、気遣いを忘れずに接しなきゃいけない。
そんな当たり前のことを、私は大人になってから気づきました。
驚くほど遅かった。本当に今も思い出すと暴れだしたくなるほど黒歴史です。忘れ去りたい。許しを請うために、そして忘れてもらうために土下座したい。

当時の彼氏(今の夫)には、それこそ「なぜ思い通りにならないのか」自分の気持ちをぶつけて求めてばかりでした。
相手に対してやってあげることも、「やってあげたのに」っていう気持ちがあって、どうしても一方的になってしまった。

距離がある友達とのほうが上手くやれていた、けれど楽しくないし疲れてしまう。
診療内科にも短期間ですが通いました。
睡眠導入剤も飲んでいて、でもこれを飲んで寝ると覚えもない内容をメールしてしまうことに気づいて怖くてやめました。
それこそ、「本音」。怖くて怖くてたまらない、不安で今すぐ消えてしまいたい、そんな気持ちを一方的にぶつけてしまって、目が覚めてメール送信履歴を見て消えたくなっていた。

20代前半の話。

1度短期間実家に帰って養生して、もう一度東京に戻ってやり直した。
そのとき支えてくれたのが相談に乗ってくれてる友人だった。
その人も本来凄く前向きな性格なのに、色々あって当時病んでいて、お互いに相談しあってた。
だけど先に踏み出そうとしたとき
「変わるなら人間関係も変えないとダメだ。お前がそのままならもう連絡しない」

と言われた。
ああ、だめだまた失う。そう思って毎日前向きなメールをした。
相手も前向きなメールを返してくれた。お互いそれを繰り返して、いつの間にか元気になってた。
あの頃のあれは本当にきっかけだったし支えだった。
そして「自分が発する言葉にはこんな力があるんだ」と思った。

今の夫と色々あって再会して同棲して結婚して、
その間にも凄く色々あった。やっぱりすぐには変われなくて、ヒステリックになっちゃうときもあった。(ものにあたったりはしないけど、ムキー!ってなってた)

夫に「それって相手にぶつけたいだけでしょ?あてつけでしょ?それじゃなにも解決しないよね」と言われて、
怒らずに冷静に相手の言葉を聴いて、冷静に返すことを心がけるようになった。
「私はこれを言われるのがいやだ。だからやめてほしい」
「こういう言い方は、悪意がなくても傷つく。言い方を変えてほしい」
その代わり、私は反射的に怒ることをやめた。

他人と向き合って、誠意を持って、大切に接するということを、大人になってから学んだ。
夫には感謝しきれない。そんなことすらわからなかった私とよく付き合ってくれてたなと、今も思う。

今でも、相手を尊重してなかったなとか、相手に見下すような表現だったなとか、日々考えるし反省もする。

Twitterをやっていて、そんな過去の自分を思い出すことがある。

Twitterを始めた当初は、それこそ「本音の吐き出し場」として使おうと思っていた。
でも始めてみて思った。ここはリアルと同じであるべきだと。

相手を尊重すること。自分の気持ちを一方的に押し付けないこと。誠意を持って接すること。

私は大人になって気づいたことだけど、ネットで暴言をはいてる方の中には、
それにはとっくに気づいて、リアルでは普通にできている人も多いのだと思う。
だからこそ、本当に相手に自分の思いを伝えたいのならなお更こうあるべきだと思う。

SNSは匿名だけど、「人とのコミュニケーションである」ことは変わらない。
もっと言うと、リアルとは違って「誰にでも見られる可能性がある公の場」だということ。
そして「そこに書いた言葉は(基本的には)自分で消さない限り残る」ということ。
その積み重ねが、SNSでの「自分」だということ。

よくある「議論」「口論」は、自分の正しさを証明するためではなく、相手に間違いを認めさせるためではなく、「相手を知るためのコミュニケーション」であったらいいなと思う。相手の意見を聞くためにするようにしたい。

それが法的に正しい、正しくない、とは別に、
相手のためにやってることなのか?
相手を利用してるだけなのか?
ただストレスのはけ口にしてるだけなのか?
ということは自分でちゃんと認識すべきだなと。

もうネットは「リアルでのストレスの吐き出し場」ではなくなってきてるのだと思う。
だからこそ、認識の違いが齟齬を生むのだろう。

ただ、私はこの「ストレスの吐き出し場」がなくなることを望んでるわけではなくて、住み分けができたらいいなと思ってる。

インターネットを始めて使った中学時代によく言われていたことを今改めて思い出す。
「相手は人です」。
「相手に思いやりを持って接しましょう」。

ネットでもリアルでも、感情的になるときほど、思い出すようにします。

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