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批判と煽りと肯定

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久々にひどいPMS(月経前症候群)になって、ひどく落ち込んでおります。
急に自分の行き方や考え、「あとでいいや」と思っていたものに対する不安、未来への漠然とした不安などが襲ってきて動悸が止まらなくなる。
女性ホルモンの関係なのはわかっていても、絶望感が襲ってくる。
ちなみにピルを使ってますが、私はPMSには効かないようです…

こんな機会なので、「批判と煽りと否定と肯定」について考えてみました。
ちょいちょいツイッターで「批判ってそんなダメなことなの?」とか「煽り嫌い…」とかつぶやいていたことの意味をまとめてみました。

自分に自信がない自分を認めることが大切

不安の理由はまさに「自分に自信がないから」なんでしょうね。
で、これはよく批判されることのひとつなんですが(「自分に自信がないやつは何をやってもだめだ」とかね。この言葉大嫌いです。)
そう言われたところですぐに変われるものでもないので、私は受け入れようと思っています。

「自分に自信がない自分を認めること」

これによって、生理中とかそういう理由がないときは割りと落ち着いて生きれるようになりました。

否定しても、「自分に自信がない人間はダメなんだ!」って、どんどん追い込まれていくだけなので。

「私は自分に自信が持てない」だから頑張ろう、って思えば、そんなに悪いことだと私は思っていません。
「自分に自信がないこと」がだめなんじゃなくて、
「卑屈になって動けなくなること、人の言葉を受け入れられなくなること」がダメなのだと思う。

夫を大切に思う理由の一つ

そんな私は卑屈の塊でした。
外見もそう、性格もそう、「みんなと同じ」になじめない自分が大嫌いでした。
「友だちと集まってわいわい遊ぶこと」を楽しめない自分がおかしいのだと思ってました。

そんな自分が変われたのは夫のお陰だと思っています。

「意見への否定・批判はあるけど、存在や性格、自分自身を肯定してくれる存在」

それがどんなに大きく大切なのか、今は身に染みて感じます。

家族仲がいいので、家族からの愛情を受けてるし存在を肯定されてるのはもちろんわかってるんですが、
それはある意味「親ばか」っていうのも理解しているので(笑)
「全くの他人に認められること」はまた違う意味を持つんですよね。

そう思えば、10代後半から20代前半は、「認められたくてもがいていた」のだと思います。

ただ、「意見への反対・否定」は、お互いに、当たり前にあります。

批判より煽りが嫌いな理由

以前も「あおりが嫌い」という記事を書いたのですが、その通り「あおりが嫌い」です。
でも他の人の意見を見てると、

「批判は嫌い」

と言う声のほうが明らかに大きい。

私は、「批判」を「意見の違いを主張すること」だと思っています。
できれば「論理的であること」も含む。

ひ‐はん【批判】

1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を批判する」「批判力を養う」
2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の批判を受ける」「政府を批判する」
3 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。

「批判とは」コトバンクへリンク

もともとの意味とは違う使われ方をすることが多いのでしょうが、それにしても、これってそんなに悪いことかなぁ?と常々思っています。
これを否定すると、「肯定しか受け付けない」ということになってしまいかねない。

そもそも、嫌われる批判とそうじゃない批判があって、それらをすべて「批判はダメ」、と言われていることに対する疑問です。

「嫌われる批判」は、

・誹謗中傷が混じったもの
・なぜか上から目線
・明らかに悪意がある
・その人自体への攻撃
・最低限の礼儀や常識がない

など、

「批判自体」ではなく「批判 + なにかマイナスな要素」が組み合わさったもの、だと思っています。

もともとの批判、という事自体を否定するということは

間違っている情報に「それは間違っていると思いますよ、理由はこうです。」ということを伝えることすら「批判的だ!」と捉えられることになる。

なので、「批判するな!」というのは「批判+なにかマイナスな要素があるもの」への否定なのかな、と。

ただ、はっきり
意見の違いは指摘すべきではない」と言うような人もいますね。
反対意見などわざわざ伝える必要はないだろう、と。
これに対してはちょっと疑問に思います。

対して「煽り」はそこまで大きく否定されていない。

理由は、ネットが広がって「コピーライティング」「Webライティング」「セールスコピー」や「ブログでの稼ぎ方」などで
「強い言葉を良いとしている」人が多いからだと思っています。
そのような本もたくさん出ています。

とにかくノイズが多いWEBの中で「目を惹くこと」「反応させようとすること」を目的としているし、
それで話題になってアクセスが増えたり有名になれば多少なりとも「お金」に変わる。
そういう仕組みが、ここまで「煽りの多いネットの世界」を作ってしまったんだろうと思っています。

いわゆる「炎上商法」なんでしょうね。
目立てば勝ち、です。

だからこそたちが悪い、とも思っています。

あおりが嫌いな理由

これも、本来の「煽り文句」という意味ではなく、
「意図的に相手の感情を逆撫でして怒らせること」の意味のほうです。

嫌いな理由は、表現を変えた、
「批判 + なにかマイナスな要素」と同じもの
だと思っています。

「遠まわし」で「上から目線」で「否定的」です。

そしてこれで成功した人に憧れてるのかな?と思われる人たちが、
「もっと強い言葉」で煽ってるのを目にする。

「○○しない人は何のために生きているの?」
「人の物を奪えば罰されるのに、人の時間を奪ってるのに罰されない。」
「現金主義はバカ」

(現金~は有名な人がいっぱい言ってるね。笑)

冷静に見ると、ものすごく過激なことを言ってませんか。

人の気持ちをあえてざらつかせることでビジネスにしてる」ということなんだろうな、と思ってみています。

しょうがない商法だと思う反面、どうしても好きになれません。

意見についての反対はいい、けれど、人に対しては肯定すること

そうありたいと思っています。
「批判」を肯定してるのはあくまで「礼儀や常識がある上での、意見に対する批判」です。
「人格否定や存在否定、失礼にあたること」を肯定してるわけではありません。

「その人の存在を認めること」は簡単なようで実はすごく難しく、大切なことだと思ってるので
私は他人に対してそうであるようにしたい。

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