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情報は人で判断すべきではない、と思う理由。

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情報は人で判断すべき、という文章を読んで、私は真逆な考えだなあと思ったのでまとめてみました。
そこで書かれていたのは、「顔出し、本名」で書かれていて、関係性がある人の情報が信頼しやすい、ということでした。

で、それを読んだ上で私が感じたのは、

・人への信頼と情報の信頼は別物である。

ということでした。

顔を出して実名で情報を発信することでその人間の信頼が増すことと、
その発信した情報が必ずしも信頼に値するか、ということは全く別の話である、と思います。

親しい友人から聞いた「情報」は必ずしも信用できるか

私は少数派かもしれませんが、友人から聞いた情報だろうが「匿名の人が書いたネットで見た情報」だろうが、そこに信頼度の差はありません
だって、「親しい友人から聞いた情報」のソースはどこなの?っていうことになるでしょう?
その子が「ネットで見た情報」を教えてくれたかもしれない。
その子の「信頼する友人」から聞いた話かもしれない。でもその子は「ネットから見た情報」かもしれない。

ではなにをもって「親しい友人から聞いた話し」と「匿名の人が書いたネットで見た情報」に差がでると言えるのか。

人で判断できるのは情報の正しさではなく人となりと説得力

「この人がいうから間違いない」と思えるのは、その人の立場や思想、人となりを見て「私を故意にだますことはしないだろう」という最低限の判断は可能だと思う。
ただ、その中には「善意の間違い」があるということは忘れてはいけない。

情報にも色々あるけど、「正しい情報か否か」というのは状況や人によって代わるものだと思っています。

例えば、「この製品はお薦め!」って信頼できる友人に言われて購入した後に、メーカーの不備が発覚することだってあるし、
歴史について「この物はこう考えてこういう行動をしたんだよ!」って言われて調べてみたら、全く違っていた。
善意でテストの範囲を教えてもらったけど間違っていて全くテストができなかった。

悪意があるわけでもないけれど、間違った情報が「信頼している人」から流れてくることなんて、日常茶飯事であると私は思う。

では情報を教えた人に責任はあるか?と言えば、悪意がない限り法的には「ない」んじゃないかな。
倫理観としては背金を感じる人も多いと思うし、一言謝る人も多いと思うけど。

人によって説得力が代わる、というのはあります。
正しいかどうかではなく、
「実際に経営してる人」と「経営の経験がない人」の
「経営者に向けての言葉」に説得力に差がでるのは当然のこと。

ただ、それは「説得力の差」であって、「正しいかどうか」は関係ない。

情報を判断するのは自分自身。他人のせいにはできない

どんだけ不利益を被っても、故意に騙したということでもない限り、情報を信じて実行した人の責任です。
ネットやSNSで「正しいように見せかけた、善意の情報」が蔓延してる今だからこそ、「情報の正しさは自分で判断すべき」です。
「この人が言ってるから間違いない!」は思考停止だと思う。
「余計な判断はしたくない」という意図で、「あえて思考停止して物事を決める」という場合なら有効なんじゃないかな。

専門家でも全く違う考えを持っていることなんて珍しくない。
私は姉が美容師をしていたんですが、姉の話と、客としていく美容師の話が全く違うことなんて良くあること。
「専門家だから全て正しい」というのも思い込み。

実名、顔出しして怪しい情報を流してる人もいっぱいいる

これは悪意の話しですが、「実名顔出し」がどれほど「信頼」に値するのか、というところで、
実際に事業をやっていて、会社の住所、社長の顔、実名を明かしていても「詐欺まがい」のことをしてる人なんて世の中山ほどいる、と思っています。

また、詐欺まがいと言う話も、「詐欺をしよう」と思ってしてる場合と
「本当に実力不足で実際にもらったお金に見合ったサービスを与えられなかった」という「結果詐欺みたいなもんだよね」っていう話しの2パターンあって、
後者は悪意じゃなかったりする。

ではそれを見分けられますか?

あとね、実名って、「それが実名である」ってみんな調べてから信頼してます?
たぶんそんなことほとんどないですよね。

実名じゃなくても、「記号としての名前と顔(写真)に信頼を載せていく」ことがネット上では可能です。
当たり前だけど、SNSだってそれらしくフォロワー増やすのは簡単だし、サービスの口コミも操作できる。

特にアフィリエイトやFX、ネットビジネス界隈にはうじゃうじゃいる、実名顔出しで怪しい(と私が思う)人たち…

例え親や夫がくれた情報でも鵜呑みにしない

どんな人が言ってきた話しだろうと、調べます。
「いい情報をありがとう!私も調べる!」って言っちゃう。

特に両親なんて、「子どものためを思って」間違ってること情報を与えてくれる、典型的な例なんじゃないかと思います。笑

できるだけ多くの情報を入れた上で、その一つ一つを「こういう考えもあるんだ」と認識した上で、自分で考えて結論を出す
高額ななにかを購入するときもそうだし、引越し先を探すときもそう。

一つの情報を鵜呑みにしない ということと 自分で考えて決断する ということ。

自分の責任でね。

勧められたサービスが良くなくてかかった金額分損をした。
情報が間違っていて病気が悪化した。

それでもその情報をくれた人を、悪意がない限りは責めることはできないんですよ。

というか鵜呑みにする人には怖くて話しできないです。
そういう傾向にある人は「あくまで私は、だから、自分で調べて判断してね!」って伝えます。

人がくれた情報は、自分で調べるためのきっかけに過ぎない。

興味がある、影響があるものほど、自分で調べて判断しましょう。

みんながそういう傾向にあるからこそ。

実際、
「人で判断する」人って多いんですよ。
「正しそうな人が言ってたら正しく感じる」
「自信満々に言ってる人のいうことは正しいと思う」

会社ですらそう。
だからプレゼン力が仕事にとってすごく有力である、という事実がある。
で、この現実を利用して、「そう見せて自分がやりたいことを実行しやすくする」というのはいいこと思います。

だけど、世の中がそういう認識をされてるからこそ、「みんな納得してるけど本当にそうなの?」って疑ってみることが、人との差に繋がっていくんじゃないか、と思います。

どんだけ正しく、権力がある人だって間違うし、
人は基本的に人のためではなく自分のために生きてる。

この人はなぜこういうことを言うのか?ということを、考えることが大切なのだと思います。

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